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いのちの声って現代語訳できる?

まりこ:いのちの声ってさ、現代社会の言葉に翻訳するとすると、なんか何て表現できるんだろう。

くみこ:ねぇ、なんて表現するとしっくりくるのかな?なんかソース・源とかさ。本音とかとは全然違うよね。

すっごい平たい言葉なら、本音かなって思ったけど、本音ではもう1%も表せてないかもしれないっていう。

そうなんだよね。無意識とか言われちゃうと、またちょっと違うなぁとか。潜在意識とかさ。

私、会社を辞める時によく周りと話してたのが、それまで自分にとってのコーチングって、気づくとか気づかせるとかそういうニュアンスが強かったんだけど。最後の一年で、あ、コーチングって「思い出し」のプロセスなんだとすごいしっくりきたわけ。

思い出すのを促してるんだ私は、と。本当にその人のいのちにつながると、答えはすべて本当にその人の中にある。自分の認知レベルで思い出すということではなくて、いのちの根源レベルで思い出すっていう。難しいね。

私が初めていのちの声を聞いたなっていう実感があるのがさ、演劇だったの。演劇って自分じゃない人になってるんだけど。

役割を演じている中で自分のいのちの声を初めて聞いたなって瞬間があって。その時はもはや言葉っていうより音だったんだけど、わー、私の声だなーって。私の命の出したかった声だなって初めて実感した時があってさ。

それがすごいもうなんか感動。聞こえた、聞けたって思った。その時は怒りの声だったような記憶がある。本当にもうなんか命の根源から出た叫びだったのか、音だった。それ思い出すと、なんか今でもあーって思うんだけど。

うーん、面白いね。そういうやつだよね。そういう経験をした人はみんなわかる話じゃない。でも一回も発したことない人の方が実は多いのかもしれないね。

それってね、なんかどうやったら出会えるのかな。

私が、そこがちょっと矛盾してるんだけどさ。だからといって、全員から無理やり引き出すことが必要ともあんまり思ってないんだよね。やっぱり準備がある。人それぞれの。

必要な人がその声を出すわけで。だから認知レベルのダイアローグも、もちろん必要だし。全部がいのちのダイアローグにつながっていくための、大事な一歩一歩だなって思う。なんか面白いね。

この間、友達とプロセスワークのインナーワークをやってて。それは言葉じゃなくて動きで見せてもらう。それはそれですごいなと思ったんだよね。こればっかやってるっていうのも楽しかろうなって。

うんうん。

でも、そういう世界観に行けば行くほど、またそこから周辺化される人が気になっちゃう。分断していく感じがあって、そこの橋をかけたいっていう思いもある。対話の担い手も、役割分担があって、グラデーションだと思うからさ。

アーノルドミンデルみたいに、本当に先進的な探求をして、賢者みたいになっていく人たちがいて。そこについていける人といけない人は、当然いるんだよね。すごすぎて。

そのさらに後ろに続くひとたちと、このエッセンスを体験してみたい。そこがすごく気になったりするんだよね。

うーん。

ちょっと贅沢かもしれないけどね。                 

(つづく・・・)

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